少年義勇兵
2000年に公開されたタイの映画で邦題「少年義勇兵」というのがあります。
今回訪れたところから更に南に下った「チュンポン」と言う町にも日本軍が上陸し、地元の守備隊と戦闘がありました。
戦ったのは警察隊と、地元で組織された14歳から17歳までの少年義勇兵たち。
それを題材にしたのがこの映画です。暗い戦争映画ではなく青春映画のようなつくりです。
また例ごとく下手糞な解説で、内容をご紹介したいと思います。
主人公の高校生マールット。早くに両親に死なれ、今は姉夫婦に厄介になってます。
義理の兄日本人の川上さんは地元で写真館をやってます。マールットはこの優しい義兄を尊敬し慕っていました。
ある日彼の学校に訓練隊がやってきて、義勇兵の募集をします。愛国心を掻き立てる隊長の演説に感化され、子供たちは次々と手を挙げ応募していきます。(ほんとに、彼らは分ってたのかしら)。
この日から、厳しい軍事教練が始まります。最初は頼りなかった彼等も、次第にたくましい兵士となっていきます。
(途中、女子高生との恋ばなや訓練隊長と宿舎の娘との噂話などがありますが、取り敢えずはしょります。)
兄の川上は、よく釣りに出かけていましたが、じつは釣りをしていたのではなく、密かに湾内の水深を測ったりして、上陸に備えるべく前乗りしていた日本軍の諜報員だったのです。
そしていよいよ運命の日
日本軍上陸
義勇兵に集合が係り、支度を整えて出かけようとしたマールットが目にしたものは。なんと、日本軍の軍服を着た義兄の姿でした。裏切られた気持ちに激しく憤り、兄に唾を吐きかけて雨の中に駆け出して行きます。
と、このプロットはどこかで以前見たような。
前にご紹介した、タイで大人気の「クーカム(メナムの残照)」の中でも、主人公のアンスマリンの一家が昔から掛かりつけだった日本人の町医者が出てきます。(名前は失念)。
日本軍進駐後、この医者も軍医になります。日本軍の進駐を心から嫌っていたアンは、軍服姿の医者を見て、裏切られた気持ちで一杯になり唾を吐きかけて立ち去ります。
もしかして、タイの一般の人たちの間には「日本人は良い人だけど裏切られる」というイメージがあるのでしょうか。しかし、二人とも軍というおおきな組織での動きなので、何とか許して欲しいものです。
進攻してくる日本軍。
迎え撃つは、わずかばかりの警察守備隊と、少年義勇兵たち。
彼等も果敢に戦いますが、所詮多勢に無勢。精も魂も尽き果て、弾薬もいよいよ尽きる頃、昼過ぎに本庁から日本軍に対する国内「通行許可」の連絡が入り停戦となります。
戦闘シーンでは、日本兵がばたばたと倒されていきますが、白兵戦までやっているのにタイ側は殆ど被害がありません。(訓練隊長は戦死します)
この映画は、ドキュメンタリーではなく、タイ人の作ったタイの映画なので、当然「西部劇の中の騎兵隊とインディアン」の関係が適応されると思います。しかし、映画のエンドロールにも死傷者数が表示されますが、それによると
日本軍死傷者数 200、タイ側 10、義勇兵には死傷なし、と出てきます。
余りに彼我の差がありすぎると思いますが、この数値がもし本当とするなら、日本軍は上陸後も平穏無事に通行できると思いこみ、安易に上がって来てしまったと言うことなのでしょうか。そこまでの資料は見当たりませんでした。
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タイの日本軍
さて、タイ各地に上陸した日本軍は、その後東南アジア諸国・太平洋の島々へと進攻して行きます。タイに限って言うと、当初「通過」だったものが、「進駐」となり 「駐屯」となり、結局終戦まで居続ける事になります。素人が平たく考えてみても判ります。タイにいれば
・ご飯、豊富に食べ放題
・各方面へ出かけるにも鉄道乗り放題
・要求に対して文句を言ってきたら、ちょいと脅かせば言うことを聞く
戦争時、こんな便利な後背・兵站地はありません。日本が手放すわけが無い。
こうなると、70年前に日本軍が進駐してきた時の、政府や外交筋ではない一般のタイの人々の気持ちが、どうだったのか?大いに気になるところではあります。
興味深い資料がありました。
泰国駐留(通過)将兵必携
昭和18年4月29日
義部隊司令部 部外秘 とあります。
これは、タイ国に駐留あるいは通過する日本軍将兵全員に配布された、タイ国での注意事項が記されたパンフレットのような物。
ざっと中身を意訳してご紹介します。
1.タイ国は南アジア唯一の独立国で、我が国の同盟国です。
兄弟国として、協力して大アジア共栄圏を造りましょう。
将兵は、特に軍紀風紀を正しくし、礼儀を重んじ、敬礼態度に深く注意して、タイ軍将兵に模範を示すと共に、兄弟の情愛を持ってタイ国民を善導誘掖し、公明正大至誠至仁をもって皇軍の威容真姿顕現に努力してください。
2.タイ国は仏教国で上下の信仰がとても厚く、儀礼を重んじます。
将兵は、常に寺院を愛護すると共に、僧侶に対しては勉めて動作応対に注意し、粗暴の行為などあってはなりません。
3.タイ人は風習上頭部を大切にし、頭を撫でる、または手を触れる事さへ極度に嫌悪し、これを侮辱と思うだけでなく、一般に復讐心が強いのでタイ人の頭部に触れ、特にタイ人を殴ったりすると必ず復讐行為が起こり、時に国際問題にまで発展しかねません。
将兵は、絶対にタイ人を叩かないのは勿論、その頭部に手を触れることを厳に慎んでください。
4。タイ人は其の風習上、泥酔者や裸体者を想像以上に蔑視します。
将兵は、路上や列車中で酩酊放歌したり裸になったりしてはいけません。
5.近ごろ、沿道に盗難が多いので注意してください。
将兵は、機秘密書類や兵器の保管は勿論、貴重品その他身の回りの品物にも常に注意を払い、特に列車搭乗中の監視とか宿舎の戸締り・警戒を厳重にしましょう。
6.タイ国には「コレラ」「ペスト」「チブス」及び「赤痢」などの病気がはやり、性病も多いです。
将兵は常に衛生に注意し、生水は絶対に飲まないこと。特に生ものや暴飲暴食を慎み、寝冷えに注意して、寝る時は腹巻をしましょう。
まるで、初めての海外旅行に際しての旅行社の注意事項のような、子供の頃わくわくして楽しみにしていた「お泊り遠足」のしおりのような。
このような、細かい配慮がなされていたからこそ、以前ご紹介した「クンユアム」のように、地元民と日本の兵隊たちが友好交流し、戦いに傷ついた兵士を手厚く看護してくれたのだと、好ましいく微笑ましい事柄として捉えていました。
ところが、実際は全くの真逆。微笑ましいなどと言う生易しいものではありませんでした。
この「将兵必携」なるものが作られたのは1943年のこと。其の前年の1942年12月に「パーンボン事件」と言うのが起こります。
バンコクの西に「パーンボーン」と言う町があります。当時ここには日本軍基地・捕虜収容所・労務者の施設などがありました。あの悪名高き、「戦場にかける橋」で有名な泰緬鉄道の建設基地だったところです。ここから鉄道建設部隊、沢山の捕虜・労務者が工事現場へ向かっていったところです。
ある時、英軍捕虜が通りかかりの僧侶にタバコを無心し、求められるまま僧は捕虜にタバコを恵みます。これを見咎めた日本兵がこの僧侶を殴りつけます。
ご存知の通り、タイ国は90%以上が敬虔な仏教徒の国。ピアスをつけ携帯を片手にしたチャラチャラした感じの若者が、通りすがりの小さな祠に手を合わせ頭を下げて通り過ぎる。同じ仏教国でも日本とはその信仰の深さは段違いに差があります。人々は王様をこよなく敬愛し、国民の父母であると慕いますが、そんな全国民に尊敬される皇室王族であっても、位の高い高僧の前では跪いて、敬意を表します。つまりこの国では、お坊さんは日本人の尺度では測りきれないほどの「特別な存在」であるということですね。
選りによってその「お坊さんを殴る」と言う行為は、個人に対する侮辱ではなくタイ国の宗教全体を侮辱したような物。騒動にならない訳がありません。
これを聞きつけたタイ人は暴徒と化し、日本軍基地を襲撃。警察まで巻き込んだ銃撃戦に発展して双方に死傷者を出すまでになってしまいます。
この事態を重視して、駐屯軍司令部が上述の注意書きを作成配布したということですね。
全体の流れを知ってしまうと、なんとも曰く言いがたし。腹巻の心配までしてやらないと当時の日本兵は人並みな行動が取れなかったと言うことでしょうか?(全員とは言いませんが)。
そもそも、この「将兵必携」なるもの。よくよく見ると、冒頭の1項目から私的には駄目ですね。美辞麗句が並んでいますが、結局兄としての日本が弟のタイに対して、と言う「上から目線」で述べている。
「兄弟の情愛を持ってタイ国民を 善導 誘掖し」などとはもっての外。少なくとも独立国に対する態度ではないと思いますが、如何?
故国のために命を賭して戦った先人に失礼とは思いますが、何とも情けない思いではあります。
「侵略か開放か」
専門の研究者が喧々諤々議論をしても、結論など求めるべくも無い。こんな大それたテーマを素人が語ろうなどと、思い上がりは毛頭ありませんが、結論が出せずとも出来るだけの知識を深める努力は必要でしょう。特に外人と相対する時は。
例えば、タイ人から、日本軍のタイ進駐についてどう思うかを問われた時、「それは自分の生まれる前の話だから分かりません。」と言う答えは使えない。判らないながらも自分なりの意見を持っていないと、信頼が得られない思う。
と言う訳で、無理やりの結論。
大小・公私様々な種類の出来事や人々の話を総合すると、やはりタイの一般の人たちは、当時のタイは「日本によって植民地にされた」と言うのが素直な気持ちではなかったかと思います。
皆様のご意見をお待ちしております。
こんばんは(^^)
返信削除驚きました(◎o◎)
matuさんは「007 are forever」と全く違うお顔を持っていらっしゃるんですね?
こちらのブログの内容は私には難しかすぎてついていけませんでしたが、素晴らしいと思います。
先週「007 死ぬのは奴らだ」のボート転落の川底の遺体について、私のブログにコメントを頂いたのは、あの川がタイの川だったからかなぁ・・・
と思いました。
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Bloggerって、1つのIDで複数のブログをオープンできるんですね?
そのことにもビックリしました。
ではまた(^^)/
早速に有難うございます。下手糞な著述で独り善がりな文になり、本人の気づかない説明不足が多々あります。どうぞ、意味不明の箇所はご指摘ください。研鑽の励みになります。
削除我ら「団塊の世代」は、辛い戦中戦後は無意識の内に過ごし、美味しい成長期の右肩上がりのみを自身の人生に合わせ、今は皆様現役世代の上に乗っかり、図々しく無駄飯を食んで居ります。
人それぞれ、様々な考え方、主義主張があると思いますが、過去に起こった事実の断片を少しでも後世に伝えるのが、私達の最後の責務と考え、拙い記事を物しました。
どうぞこれに懲りずに暇な折にでも、爺の世迷言に耳を傾けて頂ければ幸いです。
タイは好きな国ですが、さほど強い思い入れはありません。今時、長期軍事政権などおかしいし。葬式の件は インドのガンジス川のように「焼いたり、焼かなかったり」ではないと推測しましたがこれも確証はありません。
blogger は無広告というだけで、選びました。1つのアカで100までブログつくれるそうです。そんなにいらね~~。
今後とも宜しく
タイの田舎町からお便りします。私は当地の高校で教えています。先日、うちの高校生数十人が「民主化を求めて」(+αのヤバイ要求も)、学校の前に立ち、ちょっとしたニュースになりました。昨日の授業(オンライン)の前に、この「少年義勇兵」を引き合いに、国の将来を考えるのは大切だが、むやみに行動して誰かに利用されるのは避けようと、生徒たちに訴えました。79年前のこの日、ビプン首相は雲隠れ、少年義勇兵たちは、いわば大人たちの盾になって、命を落とした者(パタニーというところです)もでてしまったのですから。
返信削除その準備の途中に、御ブログに出会いました。興味深い記事を、ありがとうございます。
なお、日本軍の「スパイ伝説」ですが、その大半は虚構です。タイに住んでいた日本人が、日本軍進駐後に召集または徴用されて、通訳や軍医などを務めたことを、あらかじめ送り込まれたスパイだったという勝手な詮索の対象になっただけです。ただ、軍が送り込んだスパイもいるにはいましたが、全体のごく一部です。
また、ご指摘の通り、「クーカム」でも同様の存在(主人公アンの日本語の師匠でもある歯科医のヨシ(ダ)先生)が出てきます。ですが、その結末は、お書きになっているのとは、やや異なります。原作(角川文庫版では削られています)でも、2013年版のテレビドラマ(これがブログ主さんがご覧になったものです)でも、ヨシ(ダ)先生はアンに通訳にならないかと持ち掛けて、アンは断固拒否します。そのあとで、先生はアンに語ります。この部分、異国で教壇に立っている自分の背筋をいつも伸ばしてくれるような、そんな語りです。ぜひ、その個所をもう一度ご覧になってください。
なお、昨日の授業で、この少年義勇兵の記念碑の写真を見せ、生徒たちに知っているかと尋ねましたが、誰も知りませんでした。そのあと、考えることはいいが軽挙妄動は慎むべしと当方が訴えたのは、はたして理解されたかどうか。
コメント有難うございます。タイを出てはや3年たち、その存在自体も忘れかけていた物にコメント頂き恐縮しております。拙ブログをいま読み返してみると、誤謬や推測が散見し恥ずかしい限りではありますが、帰国後はそれらブログ内容の訂正する気力も無く、ただダラダラと「コロナ」を避けつつ余生を送っております。内容の誤りはただただご容赦頂きたく存じます。記憶が定かではありませんが、鑑賞した映画「クーカム」は2013年版ではなく一つ古いものだったと思います。気の強いアンが先生に「つばを吐きかけて走り去る」シーンがとても強く印象に残っており、「少年義勇兵」でそのシーンがフラッシュバックしたように思います。間違っていたら失礼。
削除小生都合6年間チェンマイにて「お寺めぐり」+ゴルフ三昧の生活をしておりました。
高校にお勤めとの事ですが、タイのどちらですか? ODA@Thailand とありますが、JICAの関連ですか?お勤めご苦労様です。
タイの情勢もなかな安定しませんね。(プミポン国王の存在が大きかったということでしょうか)。若い人たちが現状に不満を持ち批判行動をとることは理解します。香港のアグネスさんも身の危険を顧みず自己主張する姿は感動します。
それに比べわが国は、、、、。もはや「犯罪者集団」とも思える現安倍政権。批判はするものの選挙では何時までも支持をする。疑惑まみれで何も出来ない小池都政も選挙をすると圧倒的な支持を受け。
「日本人だいじょうぶか?」と、行く末暗澹たる思いを抱きます。
奇しくも、75年目の「終戦の日」にさいし、思いを新たに、行く先に「きな臭い」においを嗅いだら、どうせ老い先短い体。身を挺して抵抗しようと思います。
乱文乱筆 失礼
お返事ありがとうございます。「クーカム」のお話のところで、2013年のテレビドラマ版の写真が貼ってあったので、これをご覧になったのだろうと思いました。よく読めば、映画版を見たということですね。まああれだけ版がありますので、同じ場面もあれこれに描かれます。
返信削除現在ハジャイの学校に勤めています。JICAでインドネシアに赴任したこともあります。まあ日本国内に比べれば、お気楽な仕事ではあります。
最近のタイの学生たちの動きは、民主化要求を越えて、この国の根幹に関わるところまで問うています。その分慎重に行動してほしいと思っています。何せこの国は、完全武装の警官隊や軍隊に向かって群衆の側から発砲して、流血の惨事にすぐ発展するというところですから。また、大人が簡単に青少年をけしかけたり、自分の政治的目的に動員したりしています。これを止めさせるのは、たとえ外国であっても教師たる者の務めです。
たまたま見つけた御ブログですが、また時々寄らせていただきます。どうぞお元気で健筆を振るってください。