戦争の傷跡

チェンマイ市お堀

チェンマイ中心部。旧市街を四角く囲んだお堀端です。
のんびりとした街並。木陰のベンチで風を感じながら本など広げていると、時の流れが、ゆるゆると感じられます。

ガネーシャ

ご当地では、何か問題が起きたり困ったときには、「マイペンライ」(大丈夫、どうにかなるさ、気にしないで)。また逆に、待ち合わせに遅れたり、頼んだことを忘れてやらなかったりの様なマイナス局面でも同じようにこの「マイペンライ」で済ましてしまう。そんな一歩突き抜けた「のんびりさ」が、元来怠け者の私にとても性に合う。

しかしこんなのんびりした争い事とは無縁のような所にも、70年前の悲惨な傷跡が残されていました。戦没者遺族関係者以外には縁が遠く、観光名所にも成り難いのでガイドブックなどではほとんど紹介されていません。近くにあっても、今まで特に意識しませんでした。

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クンユアム戦争博物館

「博物館」という名前についつい気が行ってしまう私が、以前から一つ気になっていた所がありました。
市内から直線距離で西へ100km程の所にある「クンユアム」という山間の村に「戦争に関する博物館」があるという。直線100kなら車で普通2,3時間というところか。しかし、この100kmの間にはタイ国内最高峰の山並みが行く手を遮り、アプローチが中々容易ではないため今までなかなか腰が上がらなかった所です。
市内からそこに至るルートは3本あり、北迂回路、南迂回路、そして中央突破ルート。南ルートは山を迂回するため距離が長く時間がかかるが平坦部が多いので比較的楽なコースとのことで行きは南から、帰りは中央突破を試みた。実は、北へ迂回する北コースが旧日本軍がビルマ攻略のための兵站補給路として掘削拡幅した道路ということで、お話のテーマになるところですが、こちらは更に距離が長く、アップダウン、カーブがきついということで、次回まわしで今回は断念しました。


1941年、太平洋戦争勃発。日本軍はタイ南部に上陸後、南進して「マレー作戦」へ、西進して「ビルマの戦い」へと展開していく。
「ビルマの戦い」のため、駐留していたタイからビルマへ渡る日本軍の兵站ルート。
一つが中部タイからビルマへ抜ける鉄道路で、映画「戦場に掛ける橋」でとても有名になり多くの観光客が訪れています。一方の北部タイからビルマへの西進陸路は、ほとんど注目されず私自身も知りませんでした。この陸路兵站ルートのタイ側の最終基地がこの山間のクンユアムと言う所でした。

クンユアム

クンユアム
クンユアムの町並み

山あいを迂回して、曲がりくねった山道を走り続け、やっと目的地に着きました。
このクンユアムという所は、昔からビルマ交易が行われていましたが、現在でも道の両側に家並みがある程度の小さな町です。この小さな町に一時期は数千人の日本軍将兵が駐留し、道路工事や、ビルマ侵攻の準備が行われました。作業の合間には農作業や、宿泊先の家事を手伝ったりして地元民と友好関係が築かれました。

そして戦争末期には、世紀の愚策といわれた「インパール作戦」で敗退した日本兵が、ビルマ各地で撃破・追撃され飢えや病とたたかいながら最後に目指したのがここクンユアムのようなタイ国領内の前線基地でした。終戦時にはこの小さな町に傷病兵が溢れかえり、野戦病院で収容しきれない兵が一般家庭に数人づつ収容され、地元民に介抱されたそうです。

第二次大戦博物館 泰日友好記念館

泰日友好記念館
目的の博物館 第二次大戦博物館 正式には「泰日友好記念館」

チュウチャイ・チョムタワット

このようなほとんど埋もれかけていた戦争の事実を掘り起こし、保存に努めてくれたのは、ある一人のタイ人 写真の 元警察中佐チュウチャイ・チョムタワット氏です。
氏が、新任警察署長としてクンユアムに赴任したてのころ、挨拶がてらに近所を回ったところ、興味あることに気づきました。各家々に古びた水筒、飯ごう、コート、毛布などが大切に保存されていたのです。それらは、日本兵が残していった遺留品の数々で、氏はこれら日本兵の遺品を自費購入したり譲り受けたりして集め展示施設を作ったのが、この博物館の始まりです。

氏曰く「私は、この世のすべてのものには魂が宿っていると信じる。戦争時の日本兵の持ち物は生きるための必需品である以上に、持ち主とともに苦楽をともにした友である。何年もの間共に任務を遂行した物に、持ち主の愛情や友情は伝わったはずだ。その愛情は、持ち主が去ってしまってもその物に宿っている。物は持ち主の代わりに子孫や後世の人たちにかつての時代のことを語り、尊敬の念を起こさせる。」 (詳しくはHPで http://www5f.biglobe.ne.jp/~thai/index.html)


  早速、館内を見て回りましょう。
館内入ってすぐのエントランスは、石器時代の発掘物展示。(歴史博物館や、日本の地方都市にある郷土資料館などで良く目にする展示手法ですね)


続くコーナーでは、地元の民俗的資料の展示。天秤、竹篭などの生活用品の展示や、現地の少数民族の割合など(これもよくあるパターンです)


そしてこちらが、日本軍兵士の遺品類。鉄兜がきれいに説明パネルに組み込まれ、解説はタイ語英語日本語の併記。小物類はガラスケースにきちんと収められています。



左に日本を象徴する桜の造花などがあり華やかです。右側には、担架、収納箱、医療器具など。


各壁面の大型写真パネルには、当時の日本兵が現地住民との共同作業風景や、寛いでいる所などが映されています。


建物の外に出ると、当時のものと思われる赤錆びた日本軍輸送車両の運転席が整然と並んでいます。その奥には平和祈念の碑が見えます。

平和祈念の碑
「戦友よ安らかに眠れ」

同じく敷地内にあるこの慰霊碑は、数少ない「インパール生還者」の一人、井上朝義獣医大尉の建てられた物。この井上氏も記念館設立に尽力されました。

写真中央の木立の合間にうっすらと見はるかす彼方がビルマ国境。

先ほどの井上氏はインドのインパールからビルマを越え、このクンユアムまでの遥遥道程800Km、132日(4ヵ月半)の撤退行で、途中マラリアに罹り意識朦朧とするも友や地元民に助けられ、何とか生き永らえたそうです。

ワットウーモン

ワットウーモン
ワットウモン寺院

記念館の道路向かいの広い境内を持つこのお寺は、当時野戦病院として使われていました。タイやビルマには、人里はなれた山の中にも必ずお寺があります。これらは格好の軍事施設として使われ、兵站基地、前線司令部、病院などで利用されたところが沢山あります。しかし病院とは名ばかりで兵站が間に合わず、医療品どころか食べ物にさえ事欠く状況。遺体の処理が間に合わず、境内端の木陰にうずたかく積まれているのを村人達は目にしたそうです。

ビルマ戦線将兵鎮魂の碑

ビルマ戦線将兵鎮魂の碑
寺院境内の塀際にあった「ビルマ戦線将兵鎮魂の碑」

このような慰霊碑が幾つかあり一通り見て回りたかったのですが、境内に巣くう犬に吠え立てられ、やむなく撤退。
こちらには、野良犬が沢山居ますが、人々は通りすがりの犬にも餌を与え虐めたりする様な事はしません。そのため、一般的にタイの野良犬は鷹揚で皆のんびりしていますが、お寺にテリトリを持つ連中は別。よく吠え付いてきます(理由不明)。野良のため狂犬病対策など出来てませんので、取り敢えず要注意。


日本の田舎に良くあるようなのんびりとした山間の農村風景。しかし70年前には、この同じ場所を、栄養不足や疾病に冒された何千という傷病兵がまるで幽鬼のように安全な地を目指して彷徨い歩いていた。周りで同胞が行き倒れても誰も助けられない。自分が歩く事が精一杯で、歩けなくなったところが死に場所となる。行く先々にはそんな死体が累々と続いている。人呼んで「靖国街道」または「白骨街道」という。
のんびりとした風景で、いくら目を凝らしてもそんな光景は浮かんでこないが、70年前にそこに起こった事実は紛れも無い事のようだ。

インパール、ビルマ戦線
  投入兵力総数 30万人
  戦没者数   19万人
  生還者数   11万人

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後記 その1
記念館を創立したチョムタワット氏。その長年にわたる活動が日本にも知られるようになった。2006年タイ国王即位60周年式典参列のため来泰した天皇皇后両陛下主催レセプションにチョムタワット夫妻が招待され、拝謁の栄に浴す。翌年春の叙勲にて「旭日双光章」受賞。

後記 その2
主目的の記念館を見て回った後、どうにも釈然としない気持ちに囚われた。展示が余りにも綺麗に整いすぎている。戦争という狂気に満ちた理不尽さ惨たらしさが全く感じられない。実はこの建物は多くの寄付金や両国政府からの援助もあったのだろうか、2012年に開館したリニューアル施設です。

リニューアルされた新しい展示では
-郷土資料館として、考古学や民俗学などの展示があり、戦争ものは一コーナーの扱い
-整然とした展示のため、現実味が希薄である
-屋外の輸送車両は、鉄くず利用の現代的なスクラップアートとも見える
  (戦争の資料を芸術作品の材料とするのは、どうでしょ)

このような展示内容を創設者のチョムタワット氏は納得しているのだろうか?
調べてみると案の定いろいろ出てきた。建設時それなりの金額が動いたためあちこちで利権争いが起き、管理の財団理事が辞任したりしている。
人間の飽くなき業の深さよ。
展示の方向転換にまさか日本人の設計者とか絡んだ無ければよいのだが。

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