戦争の傷跡 その2

火炎樹

  前回は車で5時間かけて高い山並みの裏側まで行ってきました。
山の手前側、裾野の位置にも慰霊碑があるという事でお参りを兼ねて行って来ました。
  ビルマ側からすると敗退した日本兵が国境の山々を越え、さらにタイの最高峰を越えて、やっと安全な地にたどり着いたという辺りでしょうか。

バーンカード中高等学校

バーンカード中高等学校

  ここ、「バーンカード中高等学校」の敷地の隅に慰霊碑があるという事。何とも心苦しいですが、取り敢えずゲートを空けてもらい中へ進みます。

バーンカード中高等学校02

広いグラウンドがあります。お勉強の邪魔にならないようにソロソロと行きましょう。

バーンカード中高等学校03

  一応念のため、怪しいものでは無いという自己主張の意味で、通りすがりの女性に慰霊碑を尋ねると、タイでは珍しいくらい驚くほどの流暢な英語で位置を正確に教えて頂きました。多分英語の先生ですね。

戦没者慰霊碑


笑顔の受け答えに安堵しつつ、無事校内通過して、目的の場所に着きました。

戦没者慰霊碑鐘楼

敷地内には立派な「鐘楼」がありました。

戦没者慰霊塔

鐘楼の反対側にある慰霊塔

戦没者慰霊塔02

戦没者慰霊塔04

  そもそも何故この場所(学校敷地内の北西角)に戦没者慰霊碑が建てられたのか?
実は、この慰霊碑の場所に井戸があり、なかから多数の日本兵と思われる遺骨が発見されたそうです。今でも井戸は開口のままで、中が覗けるそうです。

戦没者慰霊碑04

  別の資料から、近くのお寺が野戦病院として使われていて、そこで亡くなった方の遺体を周辺に埋葬したとのこと。その一つがこの井戸。
  先ほどの鐘楼から見回すと、確かに隣に仏塔が見える。これが、そのお寺と思われる。


  おっと、学校が終わったようだ。「寄り道しないでお帰り。」と言っても、寄り道する様な所は見当たりませんが。


  いったん学校を出て、隣のお寺へ。私の好きそうな古い感じのお寺です。道路に面して立派なレンガ造りの門があります。これだけ立派な門のあるお寺はチェンマイ市内でも珍しい。


  これが本堂ですが、残念ながら現在は廃寺のようで荒れ放題。話を聞く人もいない。しかし位置から考えて、当時傷病兵が収容されていたのはここに間違いないだろう。
  
  戦争末期には、すでに医薬品はほとんど底をつき、満足な治療も受けられずに多くの傷兵が死んでいった。司令部の予想をはるかに上回る傷病兵の数。正規の野戦病院では間に合わず、多くのお寺が使われただろう。それらは、病院ではなく正式には「患者中継所」と言うそうな。なんとも「言いえて妙」ではあるが、しかし、、、、。

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    慰霊塔の隣に、やや小ぶりな別の碑があります。
「此の地に 壱万八千名の勇士眠る
        インパール作戦に於ける日本軍人とともにタイ人軍属」

    平成元年、カンボジア難民慰問の帰りに佐賀県の僧侶及び遺族の一行はチェンマイ県を訪れた。その時会ったタイの老僧よりこんな言葉が一行に投げかけられた。
「ここにはまだ多くの日本兵がねむっている。」「あなた達日本人はそれを省みようともしない。」「このまま放って置く気か!」
老僧の言葉を聞き終えた後、偶然一行の中にいたインパール作戦の参加者が涙ながらに語りだした。
「最初は遺体に土を掛けて通った。」「次は遺体をまたいで通った。」「最後には遺体を踏み越えて通った。」と。

    この事がきっかけとなり僧侶と遺族関係者で慧燈財団を設立し、この地に眠る日本兵の遺骨収集活動を開始した。(一部引用)さらには、タイの子供たちに対し奨学金制度や里親制度などの活動を行っている。

    この碑の18,000と言う数字がどうにも気になるのですが、これ以上の説明が無く詳細不明です。何れにせよ、この近隣から多くの遺骨が収集されたということでしょう。

戦没者遺骨収集帰還事業


    「戦没者遺骨収集帰還事業」これも多くの問題を抱えているようです。

    政府は昭和27年より昭和50年にかけて3次に分けた計画で戦没者遺骨収集を実施しました。この昭和50年の計画実施完了をもって、遺骨収集事業は終了とされました。
    あとは受身の姿勢で、確実性の高い情報が得られたときのみ重い腰を上げると言う状況が続きました。

厚労省の集計(平成27年現在)

     海外戦没者概数             240万人
       収容遺骨概数             127万柱
    未収容遺骨概数              113万柱

 海没や国事情により収容不能を引くと  残り未収容 60万柱

国別割合で 未収容が多いのがフィリピン です。
     戦没者数 518,000   収容数 148,000    未収容  370,000
とのこと。

平成 年
17
18
19
20
21
22
23
24
旧ソ連211240953079521929697
モンゴル87262430141294
フィリピン24451611,2307,7406,28901
ニューギニア4759411441521417198
ソロモン諸島32661191461021652801,433
インドネシア141351151083012160134
中部太平洋 742 58   
沖縄81849680173128159103
硫黄島4484432651822344266
合計6046407602,0388,9658,0971,9831,223

国別収容数年度推移

    表の黄色フィリピンにご注目ください。平成20年から急増しそれまでの100倍の収容数となり、23年度以降は逆にほとんど収容無し。何かありそうです。

    NHKが現地取材を基にしてフィリピンの遺骨収集に関する番組が作られました。
「遺骨収集ビジネス」なんとも後味の悪い名前です。
    この番組によると、収集された遺骨の中には、明らかに新しい骨や、子供の骨や、酷いのは動物の骨まで混在していると言う。その結果が、先ほどの表の収容数100倍増と言う数字になったという。

    このときの収集活動の実態を簡単に見ると

  「厚労省」
         事業を丸投げ

   「民間組織」
        現地にて金のばら撒き
 
      「現地のフィリピン人」
         遺骨収集作業(変な骨も入れて収容数水増し)

     「民間組織」
        ろくに精査せずに受け取り、支払い

   さてその結果は、一般の墓の盗掘疑惑もあるため、フィリピン政府も絡んで、この国での遺骨収集は中断し、23年以降収集無し。
 また、本来収集した遺骨は現地で焼骨後、遺灰を(引取り手が無い場合は)千鳥ヶ淵に埋葬となります。しかし、この間の疑わしい遺骨を埋葬してしまう訳にいかずに倉庫保管されていると言う。

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  政府の杜撰な管理で、折角帰還できた「お遺灰」がたらい回しされた揚句、埋葬されずに棚晒しになっていると言う。

  こんな扱いを受ける位なら、異国の野辺に「草生すかばね」のままの方が良かったのではないだろうか。本人の気持ちを確かめるすべも無いが。

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