外人墓地 チェンマイ
今から100年前に、英国領事とその仲間達は、土地を取得しスポーツクラブを作り、更にその南側の一部を仕切って外人墓地を作りました。「揺りかごから墓場まで」の流れで(ちょっと違うか??)
写真正面のうっそうとした木立の向こうが、ゴルフコースの7番ホールあたりでしょうか。
折角ですから一回りしてみましょう。
ビクトリア女王銅像
敷地内の一番北側の角にひときわ高い銅像があります。南に向き、墓地全体を見渡すように、まるでそのご威光をもって睥睨し見据えるように、はたまた深い慈悲のまなざしで慈しむ様におわします。世界中にその名をとどろかせた19世紀の英国女帝、ビクトリア女王像です。
この等身大のブロンズ像は英国本国で鋳造され、1903年にはるばるこの地に運ばれてきました。
当初バンコクから川を遡って運ぶ予定でしたが、予定日に間に合わず急遽ルートが変更されて、ビルマのラングーンから鉄道で北上し(当時ビルマはすでに英領となり、はやくから鉄路が敷かれていました。ちなみにタイではまだ北部への鉄道路線はありませんでした。)
その後陸路にて、象の背中に揺られ、時には人足に担がれて川を渡り、山を越え、国境をまたいで運ばれてきました。
何とかお披露目の記念式典に間に合ったそうですが、その式典とは例の材木問屋主催のクリスマスパーティだったとか。
英国人の執念、何をか言わんや。往時の世界に冠たる大英帝国としては、さして奇異なことではなかったのかもしれませんが。
大理石の台座に刻まれた銘
「慈悲深い故ビクトリア女王を記憶にとどめ、その深い崇敬と敬愛を示す証として、北部タイに住むあらゆる民族の彼女の臣民によって建てられる。」
見たいな感じ??
それにしても「あらゆる民族の彼女の臣民」とか言い切っちゃてる所が凄いですね。あたかも、まるで諸国に君臨していたかのように。まあ、実際に君臨していたような訳ですが。
実際に、ビクトリアの名前を冠したものが世界中に沢山あります。アフリカのビクトリア湖、ビクトリア滝、オーストラリアのビクトリア州、香港のビクトリア公園などなど。
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この銅像は、元はこの英国領事館(旧)のゲートに建っていたそうです。この古いビクトリア朝のコロニアル風建物はそのまま改修され、現在も市内でもトップクラスの高級ホテルの施設として使われています。
通りすがりに見ただけでもお高そうなので、私は行った事ありません。1980年、領事館移転に伴い、この銅像はここ外人墓地に移設されました。今では訪れる人も無く、墓地の片隅にひっそりとたたずんでいます。かつての華々しい権勢があっただけに、余計に言い知れぬ悲哀を感ぜずに居られません。
彼女(ビクトリア女王)の嘆きが聞こえてきそうです。
「ちょとお、どういう事よ。何でこんな田舎の墓地にほったらかしになってるの。冗談じゃないわよ。」
済みません。大英帝国女王陛下が下町の小母さん風になってしまいました。
何れにせよ、かかわると面倒そうなのでさっさと次に行きましょう。
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戦役顕彰碑
ビクトリア女王像の反対側、墓地の南の角に石碑があります。後方には低い台座に置かれた銘板があります。前の方にはちょうど人の高さくらいの四角い石碑が立っています。
後ろの銘板には
国のため身を捧げた全ての人への追悼
彼らは自身の将来を、私たちの今日に捧げた
とあります。
これはお墓ではなく「戦役顕彰碑」のようなものでしょうか。
前の黒い碑には、四つの面にそれぞれ次の様な銘が刻まれています。
表敬
クレア リー シェンノート
米国義勇軍司令官 米陸軍少将
ジャック ニュウカーク 部隊長
1942年 戦死
チャールズ モット 飛行隊長
1942-1945 捕虜
ウィリアム マックゲイリ 飛行士
1942-1945 捕虜
彼らは、ビルマでタイで中国で、日本軍と戦った。
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米国義勇軍(AVG)フライングタイガーと 自由タイ組織 の追憶
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彼らの偉業を記憶にとどめ
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米軍とタイ王国空軍は何時までも友軍であり続ける
とあります。
折角ですから、この4人の兵隊さん達の事を調べてみました。
シェンノート フライングタイガー
1937年 盧溝橋事件をきっかけに日本軍は上海に上陸し、その後 徐州 南京 漢口と戦線を拡大していきます。中国国民党軍の蒋介石は、アメリカに援助を頼みますが、当時、アメリカはまだ参戦していないため中立の立場を取らざるを得ませんでした。そこでルーズベルト大統領は策を講じます。正規軍は送れないが、ボランティアで参加した義勇軍なら文句あるめえ。と言う訳で、戦闘機購入費と要員の給料分のお金を中国に貸し、更に軍事顧問を送り込みます。それが、石碑の最初に名前のあるシェンノート氏でした。彼は、国内を駆け回り100名のパイロットと同数の地上要員を集め、軍属の者はわざわざ除隊させ全員一般人となってビルマのラングーンへ行き、そこであらためて中国軍に正式に配属となります。
これで義勇軍「飛虎隊」(フライングタイガーズ)成立です。
その後、援蒋ルート(中国への補給路)をめぐり、ビルマ、中国南部、そしてタイ各地で日本軍との死闘が繰り広げられます。
1942年7月 その時すでにアメリカは正式に参戦していたためボランティアの意味が無くなり正規軍に編入されます。
終戦後、この部隊の元搭乗員数名が輸送会社を設立し「フライングタイガー」輸送会社として、大きく成長していきます。
かつて、沖縄だったかサンシャインの頃だったか、水族館の何かの仕事で、この会社を使ったような使わなかったような薄っすらとした記憶があります。
(さすがに輸送機には「サメの歯」は描かれてませんね。あたりまえか。)
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ジャックニューカーク
さて顕彰碑の2番目の人 ジャックニューカーク隊長1942年3月、彼は数機の部下と共にビルマ中部の基地を飛び立ち、日本軍基地を攻撃すべくチェンマイ、ランプーン方面へ向かいました。
チェンマイ南郊にて、鉄道路の鉄橋を攻撃中に墜落し帰らぬ人となります。
実はその時の戦闘現場の写真がのこされていました。英軍偵察機が撮影した航空写真です。
写真上方の赤丸が攻撃目標の鉄橋。上から左へ流れていくのがメークアン川。上から右に弧を描いている黒い線がバンコクチェンマイを結ぶ鉄道。下の赤四角がワットフラユアンというお寺です。
戦後、関係者による調査でその時の様子が明らかになりました。
ニューカーク機は、線路に沿って北上し、鉄橋を発見、激しい地上からの対空機銃をくぐりぬけ一回目の攻撃。更に左に旋回し、二回目の攻撃態勢を整えます。
その時、眼下の道路上に輸送車両のような物?(3つ並んだ赤丸の一番下)を発見し、行き掛けの駄賃とばかりに攻撃を仕掛けます。しかし、目標が余りにも小さかったためか高度を見誤り、機首を上げる間もなく木立に主翼を取られ(赤丸中央)、そのまま墜落、激突大破。
地元警察などにより遺体は付近に埋葬されました(赤丸上)。
目撃証言をまとめるとこんな感じだったようです。
戦後アメリカ軍は現地調査をし、仮埋葬場所を特定して、ニューカーク氏の遺体を発掘し、本国へ帰還させることが出来ました。
それに比べて、日本の厚生省の戦後遺骨収集作業のなんとお粗末なことか。戦没者やその遺族のことを思うにつけ、慙愧に耐えない。
ランプーン 戦跡探訪
この場所、さほど遠くない所なので折角ですから一っ走り行ってみっぺえ。(あんたも好きだねえ、「はい」)。
これが攻撃目標とされた鉄橋です。
ワットフラユアン
これが航空写真に出ていた、赤四角のワットフラユアンというお寺です。看板には7世紀の建立とあり由緒あるお寺のようです。この建物の裏がニューカーク機が引っかかった場所になります。
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チャールズ モット
顕彰碑3人目は、チャールズ モット飛行隊長1942年1月、中部タイビルマ国境付近で対空砲火を受け撃墜さる。捕虜となり各地の収容所を点々した後、カンチャナブリの収容所へ送られ、有名な「戦場にかける橋」の強制労働に従事しそこで終戦を向かえ無事帰還する。
ウィリアム マックゲイリ
顕彰碑4人目、ウィリアム マックゲイリ飛行士1942年3月 中国南部の昆明より出撃。チェンマイ飛行場攻撃の際、対空機銃を受けて撃墜さる。パラシュート脱出するも捕虜となりバンコクの収容所へ。そこで終戦を迎える。
日本軍の空の英雄 飛行第64戦隊、「加藤隼戦闘隊」
←DVDの表紙
一方日本軍にも空の英雄たちが居ました。加藤建夫陸軍中佐率いる飛行第64戦隊、「加藤隼戦闘隊」。
1式戦闘機を駆って、各地で目覚しい活躍をします。
「♪ エンジンの音、轟々と ♪♪」
お若い方達から、「折角盛り上がってきたのに軍歌とかやめてよ」と、非難されそうですが、実は私もこの先、歌詞もメロディも出てきません。
しかし、この映画も歌も大変好評を博したそうです。
1式戦闘機
1942年5月 加藤機は、ビルマ中部海岸地方の基地に駐機中、敵の攻撃を受けて、離陸するも操縦不能に陥り、ベンガル湾洋上へと消えてゆきました。(その後、彼は軍神として崇められる)。隊長を失った後も、この64戦隊は終戦まで、フライングタイガーズや英軍機などと、各地で激戦を繰り広げていきます。
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折角、のんびりとゴルフ場などを紹介していたのに、結局また戦争の話になってしまいました。済みません。
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